海進丸水産について

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岩手 北三陸 普代の地で50年
この浜とともに生きる

古くから漁業が主要な産業となっている岩手県普代村。代々ここで漁業を営む合砂家は、当代の漁師 時雄とその妻 ルリ子が様々な漁法を織り交ぜて海の恵みを水揚げしています。自然の中に生きる漁師としてのあゆみには、受け継いだ思いがあります。

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普代の海を熟知した漁師が取り揃える
豊かな自然が生み出した季節の味覚

海進丸水産の合砂家は岩手県・普代の漁師の家系。
春はわかめや昆布などの養殖や岩場の海藻、夏の味覚は磯漁、鮭の便りが届く秋からは豊富な魚種を誇る定置網漁、年の瀬にはあわび漁と、1年を通じて様々な漁に出ます。

そうして洋上に船を浮かべ網を引いていると、季節によって色合いを変える海の恵みには、日本料理の世界でいわれる、走り、旬、名残の言葉が示すように、その瞬間の自然が生み出した豊かな味覚があることに気がつきます。

移ろいながら、ひとつとして同じもののない、おびただしい魚の味わいは、稀に見る三陸の好漁場の象徴。「北三陸のこの海から季節の味わいをみなさんに届けたい」そんな思いとともに、わたしたちは今日も沖へ船を向けます。

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4人の子を育て上げた父の背中
追いかけ歩み続ける漁師の道

普代では60年ほど前から、わかめや昆布の養殖漁業が始まったと言われています。今や普代の名産品としてお馴染みのすき昆布の生産もその頃から始まったと聞きます。

時雄の両親は養殖漁師を生業として4人兄弟を育て、時雄も物心ついた頃には父を手伝うようになっていたと記憶しています。この道を目指し水産高校に通いましたが、その頃にも生活の半分は父と漁師の仕事をしていました。

誰より早くから浜で働き、集落の人たちから慕われた父を少しでも楽にしてやりたいと、卒業後は遠洋漁業の道へ。定置網漁船やはえ縄漁船など漁法を変えながら、時に全国の漁港に水揚し、各地でその土地の漁師を通じて人とのつながりが身を助けてくれる様を目の当たりにしました。

時雄は30代半ばになる頃には、父と一緒に働きたいという思いが募り、地元を中心とした近海での漁が中心の生活になりました。漁獲量の変動はあれど漁船の漁師として順調に歩み続け、50歳を目前にした頃、東日本大震災が起こります。

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「それでも、おれには漁師の道しかない」
試練を越えて生きていく覚悟

体調を崩していた父の見舞いに行った久慈病院の駐車場で、立っていられないほどの揺れを感じ、父に会うことなく急ぎ普代へ戻りました。途中、津波の間を抜け太田名部漁港近くの高台にたどり着くと港で横になった海進丸を見つけました。船を諦め振り返ったところに第二波が到着。驚く事に、その波で海進丸は船体を元に戻しました。

襲いかかる津波は、普代の浜にそびえ立つ、高さ15mの普代川水門が村内への威力を弱めたものの、父が苦労して建てた養殖の作業小屋を押し流し、洋上の養殖施設などをことごとく破壊しながら、わたしたち家族を容赦なく絶望のどん底に突き落としました。

はえ縄漁の時代に知り合った日本各地の浜の人たちからの支援にも勇気づけられ、しばらくして、それでも生きる道は漁師のみだ、と思い直すと、大きく破損した船を修理し、父とともに漁業再開の道を模索し始めました。

漁師と加工・販売の二足の草鞋で
北三陸のおいしいをあなたに

背中を追い続けた父は2011年、普代の復興を見届ける事なく旅立ちました。修理して乗った海進丸は5年を経て引退へ。代々年齢を船名にしてきた事から第五十五海進丸と名付け新造船しました。そんな折、震災前に父の作業小屋があった場所に建つ「浜の産直きらうみ」に指定管理者として入居し特産品の販売所を運営するお話を普代村から頂戴します。

震災後、普代村のふるさと納税の返礼品として海進丸水産の商品を召し上がった人たちとも交流が生まれ、「一度食べたら、スーパーで買う違いがわかった」といったお客様の声にも新たなやりがいを感じて始めていた矢先でした。

それなりに迷いもあったのですが、最後の背中を押したのは、結婚前に接客、販売の仕事をしていた妻ルリ子の「この浜はお父さんの思い出の場所なんだから!」の言葉。

漁師の家の台所に立ち続けたからこそ知っている地元の食材のおいしい食べ方の提案や、親しみやすい語り口を心がけ、常連のファンもついてきました。漁業だけでなく、お客様に地元の味を伝える道を歩み始めたふたり。美しく豊かな普代の浜の味をあなたのもとへお届けします。

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海進丸水産の仕事

OUR WORKS

海進丸水産は年間を通じて普代浜でさまざまなスタイルで、
海の幸を獲り、育てています。

春夏秋冬、それぞれの季節で水温や気温、潮の流れや風向きは変わります。その微妙な変化を見極めて、最適な時期に出荷できるのは、漁師ひとすじ50年の合砂時雄ならではです。

1.定置網・磯漁

獲って数分以内で水揚げする旬の魚
三陸の海の幸を浜から直送

三陸の多彩な魚やイカ、タコなどを浜からすぐの海で獲れるのは太平洋に面した普代ならでは。獲って数分後に水揚し発送。ウニ、あわびなど磯のものは夫婦で獲り出荷します。

2.わかめ・こんぶ養殖

厳しい荒海を生き抜いた海藻
丁寧な収穫と選別作業

潮の流れが速く波が高い普代の海は、海藻にも漁師にも厳しい環境。しっかりと養殖ロープにしがみつき生き残った肉厚な海藻を1本1本丁寧に収穫し品質ごとに選別します。

3.水産加工品

鮮度を活かす浜の食べ方
新商品も続々、登場

漁師だけが知っている高鮮度でないと味わえない浜の味覚や、素材を引き出す浜のレシピでつくる加工品の数々。定番商品はもちろん、意外なアレンジレシピもご紹介。

海進丸水産のふたり

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個性あふれる海進丸水産のふたり

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店長

合砂ルリ子

Aisa Ruriko

船長 時雄と結婚して初めて浜の世界へ。結婚前は関東でアパレル販売の仕事をしていてお客様とお話するのが大好き。漁師の家の台所の秘密の食べ方もブログでご紹介します。

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船長

合砂時雄

Aisa Tokio

漁師ひとすじの海の男。酒も煙草も博打もしない働き者の父を尊敬し、口は悪いが、義理と人情にアツく、普代への愛情も人一倍。モットーは信頼第一。